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福岡地方裁判所小倉支部 昭和55年(ワ)691号 判決

原告 大国段ボール工業株式会社

被告 北九州市

代理人 上野至 伊香賀静雄 ほか七名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四一年三月二八日、別紙物件目録(一)ないし(八)記載の土地(以下、「本件土地」という)を買い受け、同年九月ころ、同土地上に段ボール製造工場を建築して、段ボールの製造、販売を行つてきた。

2  ところが、本件土地は、建設大臣により、昭和四二年三月二二日建設省告示第七五五号をもつて、都市計画道路飛行場南線(起点――北九州市小倉南区大字曾根、終点――同市同区大字貫)の道路建設予定地と決定(以下、「本件都市計画決定」という)され、都市計画法(昭和四三年法律第一〇〇号、以下、「新法」という)施行後、同法五三条、五四条所定の建築制限(以下、「本件都市計画制限」という)を受けることになつた。

3  しかるに、本件都市計画決定後、満一三年以上経過した昭和五五年(本訴提起時)に至つても、いまだ、都市計画事業が施行されず、前記道路の建設に着手されていないばかりか、昭和五〇年代のみならず近い将来において施行が実現する確たる見通しは現段階において存在しない状況であり、その間、原告は、ひき続いて本件都市計画制限を甘受しなければならない。

(一) しかして、本件都市計画決定は、昭和三八年に旧五市(旧小倉市、旧八幡市、旧門司市、旧戸畑市、旧若松市)の合併により被告北九州市が発足したことに伴い、昭和四〇年に被告が旧五市の都市計画を統一、整備して策定した長期総合計画に基づいて決定されたものであること

(二) 更に、被告において、原告に対し、別添書面を交付するなど対外的にはすでに被告が都市計画事業施行者と同様に行動していること

(三) 従つて都市計画事業施行者として、前記道路の建設に当たるのは、事実上、被告をおいて外にないに拘らず、被告は、前項のとおり都市計画事業の施行を遅延させ、原告に対し本件都市計画制限の甘受を余儀なくさせている。

5  ところで、原告は、昭和五〇年二月ころから経営が行き詰まつたため、本件土地を売却し、その代金で負債を整理するとともに、会社再建を図りたい意向であるが、第3項のとおりの状況であるため、本件土地価格は、近隣土地価格が坪当たり金一五万円を下らないのに対し、坪当たり金七万円程度以上の代金による売却ができず、地価低落分である金六七六〇万円(坪当り金八万円×八四五坪)相当の損失を被つている。

6  たしかに、私有財産といえども、公共の福祉のために一定の制約を受けるべき場合があるけれども、本件の場合、原告は、これまで一三年という長期間にわたつて本件都市計画制限を課せられ、しかも、現在尚都市計画事業が施行される将来の見通しもないのであつて、これは、原告に対し、一般的に当然に受忍すべきものとされる財産権制約の範囲を超えた、特別の犠牲を強いるものである。そして、右はひとえに被告の都市計画事業の施行遅延に原因するというべきであるから憲法二九条三項に基づき、被告は原告に対し、前記地価低落分金六七六〇万円相当の損失を補償すべきである。

7  仮にそうでないとしても、本件都市計画制限により、原告は、その私有財産権の行使につき重大な制約を受けているのであるから、都市計画事業の施行者となるべき被告としては、できるだけ速やかに、新法五九条所定の認可を受けて、右事業を施行し、原告に対し、適正な損失補償をなすべき義務があるのに、これを怠り、漫然、長期間にわたつて右事業の施行を遅延し、原告に対して、前記地価低落分相当の損害を被らせているものであるから、被告は原告に対し、不法行為による損害賠償義務を負担すべきである。

8  よつて、原告は被告に対し、主位的に、憲法二九条三項に基づく損失補償として、予備的に、民法七〇九条に基づく損害賠償として、地価低落分相当額である金六七六〇万円の内金一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

(認否)

請求原因1は不知、同234(一)は認める。同4(二)のうち、被告が原告に対して、別添書面を交付したことは認めるが、これは、単に本件都市計画決定区域が被告の行政区域内であるため、市民サービスの一環として、原告の土地買取の要望に対して回答したものに過ぎない。その余と同4(三)は争う。同5のうち、原告が金六七六〇万円相当の損失を被つているとの部分を否認し、その余は不知。同67は、いずれも争う。

(被告の主張)

1 本件都市計画について

被告北九州市の都市計画道路は、旧都市計画法(大正八年四月五日法律第三六号。以下「旧法」という。)三条の規定に基づき、昭和九年五月二二日内務省告示第二八三号により、門司、小倉、若松、八幡、戸畑の五市の一体性を考慮した道路網として、各市の計一〇五路線を同時決定したことにはじまる。そして、昭和三八年二月一〇日被告北九州市が発足したことにより、同年三月三〇日旧五市の都市計画を統一し、北九州都市計画街路として路線番号の変更等を行つた。さらに昭和四〇年に新市の長期総合計画が策定され、これに基づく用途地域、都市計画道路の再検討を行い、新しい道路網が昭和四二年三月二二日建設省告示第七五五号により主務大臣によつて決定された。本件飛行場南線は、このとき小倉南部の地区内幹線として新たに追加決定されたものである。その後、昭和四九年四月一日七区制が施行されたことに伴い、同年一一月二六日福岡県告示第一五一八号によつて道路名称、路線番号の変更を行い現在に至つている。

なお、本件都市計画については、計画決定はなされたが、都市計画事業の決定がないまま新法の施行をみたので、同法施行法二条により、「新法の規定による相当の都市計画」すなわち、新法一五条一項三号該当の都市計画とみなされることになつた。

2 都市計画事業の施行者について

右都市計画決定がなされた旧法下においては、都市計画、都市計画事業及び毎年度執行すべき都市計画事業は都市計画審議会の議を経て、主務大臣がこれを決定し、内閣の認可を受けること(旧法三条一項)、都市計画及び都市計画事業は政令の定めるところにより行政庁がこれを行う(旧法五条一項)とされ、旧法施行令において都市計画事業の執行は市又は旧法一条の規定により指定する町村を統轄する行政庁(旧法五条、同法施行令一条の二)、公共団体を統轄する行政庁(同令二条)、と定められていた。これらの規定によれば都市計画は国の事務として行政庁がこれを主宰し、都市計画、都市計画事業、毎年度執行すべき都市計画事業及び執行行政庁の指定等の処分は、いずれも主務大臣が所定の手続の下になし、これらの処分により都市計画が施行されていたものである。

ところで、本件都市計画については、旧法下において主務大臣の都市計画事業決定がなされたことはなく、北九州市長が旧法の規定による本件都市計画事業の執行行政庁の指定を受けたことはない。また、新法の規定によつて被告北九州市が本件都市計画事業の施行認可を得て施行者となつているものではない。したがつて、被告北九州市は本件都市計画の事業施行者とされていないのである。

また、新法においては、都市計画決定の段階で施行予定者を定める旨の規定(新法一二条の二第二項・一二条の三第一項)があるが、右規定も市街地開発事業等予定区域における市街地開発事業又は都市施設に関する都市計画の場合であつて、本件のような市街地開発事業等予定区域外の都市施設については施行予定者を定めることが義務付けられていない。施行予定者が定められた場合には、施行予定者は新法六〇条の二第一項により当該事業の認可又は承認申請をする義務を有するが、施行予定者が定められない場合には、都市計画決定に基づく当該事業の認可又は承認を申請する義務を負う者は存在しない。

従つて、本件都市計画決定においては、新法五九条の規定により事業施行者が定められるまでは施行予定者も事業施行者も存在しない。

以上のとおり、被告北九州市は事業施行者とされておらず、また、事業施行予定者ともされていないのであるから、本件事業の実施につき施行責任を負う立場にはない。したがつて、本件事業の実施の遅延を理由として、被告北九州市に対し、その補償を求める原告の請求は、その余の判断をするまでもなく失当である。

3 都市計画制限による損失の補償について

原告は、本件都市計画決定がなされたことにより、本件土地について建築制限がなされ、それも長期にわたつており、原告に特別の犠牲を課している旨主張し、憲法二九条三項を根拠にして損失の補償を求めている。

現行法制上、本件の場合のように特定の公共事業のため、私人の財産に対し公法上の制限を加え、その目的物につき一定の作為、不作為、受忍の義務を負わしめる場合があるが、これらは、いずれも財産権に内在する社会的制約に基づくものであり、これに基づく損失については例外として補償規定のある場合を除き、補償を要しないのを通例とするのであつて、本件の場合もその例外ではない。すなわち、憲法二九条は、財産権が、その社会的機能との関連において国家から認められる相対的な権利にほかならないことを明らかにしているのであり、私有財産権は一定の社会的制約のもとにあるものとして、その内容、限界は、公共の福祉に適合するように法律で定められているのである。したがつて、権利行使の自由が制限されたとしても、財産権に内在する社会的制約に基づくものであり、必ずしも補償の必要はないのである。

本件についても、都市計画のため建築制限をうけることは、都市計画上の必要として首肯しうるところであり、これをもつて原告の権利を特別に制限したとはいえない。さらに、権利行使の制限に対して損失補償が義務づけられる場合には、新法五二条の五、五七条の六、六〇条の三のように明文の規定が設けられており、本件のような建築制限について明文の規定がない限り、これに対する補償義務は生じないのである。

仮りに、補償について明文の規定がない場合においても、直接憲法二九条に基づいて補償請求ができるとしても、法の規定による建築制限は、法の目的が右建築制限等を含め、都市計画に関し必要な事項を定めることにより、都市の健全な発展と秩序ある整備を図り、もつて国土の均衡ある発展と公共の福祉の増進に寄与すること(新法一条)にかんがみ、都市計画決定により将来道路の用に供されるものとして公共的性質を有するにいたつた土地について、右計画の円滑な遂行に対する障害を防止するために認められた制限であることはいうまでもなく、また、かような土地にあらたに建物を建築しても、事業の実施に伴い除却を要することとなるのであつて、社会的、経済的損失を生ずる結果となることも無視できない。そして、右建築制限によりその土地の利用が制約されることになるけれども、それは以上のような観点から新規の建築を規制するといういわば消極的制限にとどまり、現在の土地利用に対して特別の負担を課するものではないし、しかも、建築の全面的禁止ではなく、法定の許可を得た建物もしくは法令の許容範囲内の建物を建築することは認められているのである(新法五三条、五四条)。

このような建築制限の目的、その態様、程度等を総合的に判断すれば、右建築制限は望ましい都市をつくるための都市計画の実効を担保しようとするものであり、都市計画の実施上必要やむをえない公共の福祉のための制限であるということができる。これを要するに、土地利用の制限は、右土地の所有権に内在する社会的制約に基づくものであつて、土地所有者においてこれを受忍すべきものと解するのが相当であり、憲法二九条三項によつてその損失を補償することは必要でないというべきである。そして、この建築制限が長期にわたつたとしても、都市計画そのものが長期的見通しのもとに策定されるものであり、さらに、都市計画として決定した事項を事業として実施するについては、社会情勢の推移等により長期間を要するのもやむをえないというべきであり、前記のように本来ならば補償の対象とならない建築制限が、事業の実施の延引により長年継続したからといつて、ただちにその損失を補償すべきことが憲法上要請されるものではないと解される。

4 損失の発生について

次に原告は、本件土地が建築制限を受けたことにより、不当に安い価格でないと売却できないため損失を受けたと主張するが、本件都市計画について、今後都市計画事業の認可又は承認がなされると事業地内の土地所有者は土地利用の制限を受けることになるため土地所有者に対し土地の買取り請求が認められている(新法五五条、五六条)。この場合の買取り価格を定めるにあたつては、当該都市計画事業のため右土地に課せられた建築制限を斟酌すべきではなく、買取り請求時の時価であつて、近傍類似の取引価格等を考慮して算出した相当な価格を基準とするものとされている。(最高裁昭和四八年一〇月一八日第一小法廷判決・民集二七巻九号一二一〇ページ)

したがつて、本件土地についても将来都市計画事業が決定すれば時価相当額での買取り請求ができるのであり、その買取り時において何らかの損害があればともかく、本件土地は未だ原告の所有であり、具体的、現実的な損失は何ら発生していないのである。

以上、右に述べたごとく、原告の本訴請求は失当であり棄却されるべきである。

第三証拠 <略>

理由

一  先ず原告が主位的に請求する憲法二九条三項に基づく損失補償について判断する。

請求原因2、3の各事実は、いずれも当事者間に争いがなく、同1、5の各事実は、原告代表者尋問の結果により認めることができる。

ところで私有財産権の行使が公共の福祉のために制限された場合において、私人の財産上の犠牲が単に一般的に当然に受忍すべきものとされる制限の範囲をこえ、特別の犠牲を課したものである場合には、これについて損失補償に関する規定がなくても、直接憲法二九条三項を根拠にして、補償請求をする余地がないではない、と解す(最高裁昭和四三年一一月二七日大法廷判決・刑集二二巻一二号一四〇二頁)べきところ、本件全証拠を精査しても本件都市計画決定及びそれに伴う被告の措置が原告に対し特別の犠牲を課したとする事情を窺うに足る証拠は見当らず、かえつて本件都市計画の目的、内容、規模及び原告の犠牲の程度その他諸般の事情が前認定のとおりであることに徴すれば、原告の所有権制限の程度は公共の福祉のため未だ受忍すべき限度内を出ないものと認めるが相当である。

確かに、本件都市計画の施行が昭和四二年三月二二日決定後今日まで実現せず、且つ現在なお将来における施行の見通しが立つてない事実は原告に対し本件土地所有権の自由な行使を相当に制約するものであることは間違いないのであるが、本件都市計画施行の規模、内容を開発事業費や土地価格の高騰等の経済事情及び財政事情と彼此対比し、更にまた仮に本件土地を早期に売却する必要があり、施行時点における損失補償額と比べて地価低落分相当額を失うことがあるとしても、事実上は右売却に当り、本件土地が将来の都市計画事業の施行の際には完全な補償を受けうる土地であることを売却代金に反映させることができる道理であることを併せ勘案するならば、右程度の施行の遅延もまことに止むをえないものであつて、未だ原告に対し特別の犠牲を課したものとはいいがたい。

してみれば、原告の主位的な損失補償請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当である。

二  次に、予備的な不法行為に基づく損害賠償請求について考えるに、本件全証拠によるも本件都市計画事業に関する被告の措置に違法な点ないし過失の存在を窺わせるべき証拠はないから、右請求も失当である。

三  以上の次第にて、本訴請求は、いずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鍋山健 近藤敬夫 近下秀明)

物件目録 <略>

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